おはようございます。理加です。
今日は、何だか芭蕉のことを書きたくて書きます。
おくのほそ道、有名な紀行文ですが、そこで芭蕉が松島を訪れた際に、その景観のあまりの美に圧倒されてこんなことを書きました。「造化の天工、いづれの人にか筆をふるひ詞を尽くさん。」
造化、とは天地のすべてのものを創造すること、またその力を持つ神様、すなわち創造主を指す言葉であると。
創造の神のたくみのわざは、どの人間が絵筆で描き言葉を尽くしても表現できない、とここで芭蕉は述べているのですが、たぶん芭蕉はキリスト教に触れていたわけでもないと思うし、造化という言葉も老荘思想の流れを汲むものではあります。ただ、大自然の圧倒的な姿に、それを造った背後の神を思っているのは確かだと思うのです。それが誰であるかはわからないけど、この自然つくった神様すげえなあ、みたいな。。。
それは多くの人が理解できるし、とくに自然豊かな日本の風景を見ていたら、うっすらなんとなくでも分かってくると思うのです。
この天地自然、万物を造られた神様がいる、と。
しかしその先には続きがあって、
この神こそ、天の父であり、その独り子なる神イエス様がいるという、ことに、なります。
私の話になりますが、私はフラワーアレンジや生け花を学んで小さな教室をしていました。で、まだ洗礼を受けていない頃に、クリスチャンの友人たちと竹田城にのぼった事があって。その友人が山を登りつつ、教えてくれました。自然界を造られたのも神様だから、と。植物の好きだった私は、その話を聞いて、神様はいるんじゃないかと、小さな喜びがありました。
日本には古くから自然を愛し敬う精神性があります。
でもそこからいま一歩進むと、その先に、この自然、宇宙を造られた全知全能の神、主への畏敬と信仰があります。
その一歩を進むことは、とても勇気のいることかもれしません。
でもどんなにたくさんの被造物があっても、神様は唯一です。
興味を持たれたなら、一度ぜひ聖書を読んで、確かめてみてください。
今日も皆さんに豊かな祝福がありますように。
めでたしめでたし。