ときいろ日記

日本に生きる私の雑記

「和」

おはようございます。理加です。

今朝は寒いですね。

手がとても冷たいです。。

皆さん今日も温かくしてお過ごし下さいませ。

 

さて、今日は、「和」という言葉をキーワードにして綴ろうと思います。うまく書けるか分かりませんが、よろしくお願いします。

そんなわけで今日の古語、いきます!

 

わ(倭・和)

①古く中国で、日本国や日本民族を呼んだ言葉。

②日本のものであることを表す。

 

日本を象徴する?ような、和という言葉。

 

ぱっと思い浮かぶのが、聖徳太子の十七条憲法の言葉です。

(「和を以て貴しと為す」。)

これは「やわらぎ」と読むのかな?

お互いの心が和らいで協力できるのが、貴し、と言っているようです。

十七条憲法については、儒教の影響もけっこうあるようですね。

 

さて私は以前生け花を学んだりもしたわけなんですが、そこから教えられることは非常に多くありました。

生け花は、違うところで生まれ育った別々の花が出会い、同じ花器の中に生けられるわけなのですが、その取り合わせや配置を考えて、花それぞれの特性を生かしつつ、調和の取れた一つの作品として仕上げていくわけですね。同じ花は一つもないわけなんですね。だけど、調和する。同じじゃないからこそ生まれるハーモニーがあるんです。

これは私の好きな言葉ですが、「和して同ぜず」というのが、すごく大事じゃないかなって思っています。これは論語の言葉だったと思いますが、他者と協調しつつも主体性を持って生きる、むやみに他者と同調しない、ということだったかと思います。

バラがバラであることをやめてひまわりになることはできないし、そんな必要もないんです。バラがバラとして、ひまわりがひまわりとしてそこにいて、それぞれの良さを出せるベストな配置があるんだと思うんです。私達も、みんな同じじゃないからこそ、社会が成り立っているわけですよね。みんな同じで一つのことしかできなかったら、生きていけないんです。それは最近痛感しているところで、だから無理にだれかと合わせようとしなくていいし、私が私であること、あなたがあなたであることには意味があるんだと。もし自分が何もできない無力だ、無意味だと思えていたとしても、そうじゃないんですよね。

私にはできないことがたくさんあります。だから、それができる人はすごいなって尊敬します。でも、もしかしたら誰かができないことを、私はできるのかもしれない。あなたもきっとそうです。

 

今日も良い一日をお過ごし下さい。

 

めでたしめでたし。